難しいサゲ
久々に落語ネタです。
尚、今回は落語のサゲの事を書いてますので、
ネタばれが嫌な方は読まないで下さい。
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落語の舞台は江戸時代のモノが多くて、
出てくる言葉がわからない時があります。
些細な部分ならそのまま聴き流しても問題ないですけど、
それが噺のキモの部分だったり、
はたまたサゲにかかわる部分だったりすると、
大事なところで笑えない羽目になったりするから難儀です。
例えば「地獄八景亡者戯」のサゲ。
閻魔の"大王"と下し薬の"大黄"の駄洒落で終わります。
「きっとそう云う事なんだろうな。」とはわかっても
打てば響く笑いには繋がりません。
米朝や文我などは噺の途中でさりげなく説明を入れて
聴き手わからせる工夫をしていますが、
腕がないとわざとらしくなってしまうかもしれません。
いっその事、枝雀の様にサゲを変えてしまった方が
すっきりわかりやすくていいのかも。
一時間もあるネタの最後がしっくりこないのは、ねぇ。
「稽古屋」のサゲも難しいです。
踊りの稽古に来たアホがお師匠はんに
「色事が巧くいく踊りの稽古つけてくれ。」と云ったら、
「そんなもん教えられへん。」と一蹴される。
「なんでですねん?」
「色は指南のほかって云いますやろ。」
これがサゲ。
…恥ずかしながら私、ネットで調べてやっとわかりました。
「色は思案のほか」と云う言葉があるんだそうな。
「男女間の恋情というものは常識の枠外だ。」って意味。
なるほどねぇ。
「軒付け」は村の若いモンが下手な浄瑠璃を聞いて貰おうと
他人の家の前で語っては追い返され語っては追い返されする噺。
結局は耳の遠いおばあさんの家に上がって語らせてもらう。
おばあさんは味噌でお茶漬けをすすりながら、
「結構な浄瑠璃やの。」
「耳、遠いのにわかってんのかいな。」と若いモンが云うと、
「さいぜんから味噌の味がちっとも変わらん。」
下手な歌を唄うと味噌が腐ると云う迷信を知らないと笑えません。
「延陽伯」は宮仕えしていた女性を嫁さんに貰った男が
その言葉の難しさに四苦八苦する噺ですけど、
そのサゲの言葉の難しさに聴き手も四苦八苦します。
嫁さんが男を朝飯の卓に促すシーン。
あーら我が君、あーら我が君。(中略) うがい手水に身を清め、
神前仏前に御灯をあげられ、朝餉の膳につき給うべし。恐惶謹言。」
すると男が答えて、
「飯を食うのが恐惶謹言なら、酒を呑むのは
酔って件(くだん)の如し、か。」
むむむ。こいつもちんぷんかんぷんですわ。
「恐惶謹言」も「依って件の如し」も
改まった手紙を書く時に使われた言葉なんだとか。
学校でも教えて貰ってないですがな。
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