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2015/03/20

巨星落つ。

とうとう米朝が亡くなってしまいました。

私の好きな上方の落語家は桂米朝と桂小文枝です。
敢えて小文枝と書いたのは
文枝になってからよりも
小文枝時代に馴染みがあるからです。
関西人の多くは同じ感覚ではないでしょうか。

もうお二方ともこの世にはいません。


昔は今よりもテレビの寄席番組で
落語を目にする機会が多かったと思います。
大抵はCMの尺に合わせて端折られたり、
単純な噺に限られていたりと、
テレビと落語の相性の悪さを
露呈してた気がします。
変幻自在でスピード感のある漫才の方が
あきらかに向いていました。
子供ながらに、落語が始まると
古くささや辛気くささを感じていたのは
正直なところでした。

しかし、中学生になってラジオを買ってもらい、
一日中部屋でラジオを聴くようになって、
高校生の頃、落語の楽しさに目覚めました。
でも、その頃、好きだったのは枝雀でした。
漫才に対抗できるスピード感とスリルと
漫画の様な強いキャラクター付けは
それまでの落語の弱点を克服した様に思いました。


で、時は流れ流れて…。
齢四十を超えて、落語熱が再燃しました。
独身貴族最後の頃で、金銭的に余裕があったので、
落語のCDやらDVDを買い捲りました。
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年齢的な事もあるのでしょうが、
落語に求めるモノが学生の頃とは変わっており、
枝雀よりも米朝や小文枝の落語の方が
面白く、奥深く感じる様になっていました。

一時期は80GBのiPodが落語で満タンになっていました。
地獄八景亡者戯を色んな演者&ヴァージョンで聞き比べたり、
泣ける落語プレイリストを作ったりしていました。

何度聞いても飽きないのが米朝と小文枝の落語でした。
中でも好きなのが米朝では「天狗裁き」「算段の平兵衛」
「たちぎれ線香」「牛の丸薬」「豆狸」「代書屋」あたり、
小文枝では「猿後家」「悋気の独楽」や
スタジオ録音の「大丸屋騒動」「立ち切れ」は壮絶でした。


これから落語はどうなっていくのかわかりませんが、
上方落語復活の礎を作った桂米朝師匠の
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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コメント

上方落語に詳しくない私でも、1つの時代の終焉だと感じます。
いいものは時代を超えて残ります。敬意を表し、ご冥福をお祈りします。

投稿: Salty | 2015/03/21 14:47

■Saltyさん

>いいものは時代を超えて残ります。

だといいですねぇ…。

ちょっとネガティヴな事を書きますけど、
伝統芸能も支えるファン層が減少していくと、
保存的な意味合いが強くなっていきますよね。
そうなって欲しくないと切に願います。

投稿: しほたつ | 2015/03/22 22:36

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