微熱程度の読書熱ですけど、
安定して色々読んでます。
新しい作家にも手を出しました。
■猫を拾いに/川上弘美
■小さいおうち/中島京子
■恋するたなだ君/藤谷治
■罪の終わり/東山彰良
■ぼくらのひみつ/藤谷治
■Schoolgirl/九段理江
■僕って何/三田誠広
「猫を拾いに」は短編集。
緩やかに繋がっているものもある。
日常を描いている作品だと思って読み始めたら、
途中で近未来の話だった事に「おっ。」となる。
SFだったとしても繊細でサラッとしたタッチは変わらず。
中島京子は初めて読みました。
「小さいおうち」は直木賞受賞作。
第二次世界大戦前後の小さいおうちと人々の話。
その家でお手伝いさんしていたタキの手記の形で進行するが、
それを親戚の若者が読んでいると云う設定が面白い。
今の人が俯瞰的に"学んだ"戦争と、
当時を生きていた人のリアルな感覚との差が
ものの見事に浮き彫りになっています。
いい作品でした。
「恋するたなだ君」は藤谷治らしい恋愛(?)小説。
男が女を好きになるきっかけが一目ぼれ。
好きになる経緯を描くのが小説の醍醐味なのに、
車で一瞬見かけた女性に運命を感じ、
追い掛けていくドタバタ劇の方に主眼を置いている。
その展開がこれまたとんでもない。
きっとついていけない人もいるんじゃないかなー。
東山彰良の「罪の終わり」は
傑作「BLACK RIDER」のエピソード0的な作品。
後の世界で神格化されている人物が
如何にして神になったかを描いています。
「ぼくらのひみつ」は藤谷治ファンの私でも
かなり無茶な設定に馴染めずに終わりました…。
午前11時31分の世界に閉じ込められた男。
俗に云うタイムループモノですが、
一分間と云う短さが設定を分かりにくくしている。
一日のタイプループだと、寝て起きたらまた同じ日、
みたいな分かりやすい繰り返し感があるけど、
一分だとそうもいかない。
途中からヒロインが登場して、
同じループの中で一緒に行動するようになるが、
どういう事なのか今一つよく分からないままでした。
一つ潔いと思ったのは、辻褄合わせの説明をあまりしない事。
引き合いに出して申し訳ないけど
「コーヒーが冷めないうちに」って小説を読んだ時、
タイムスリップの設定を成立させるためのルールを
厳密に設定してるのが、説明臭くて鬱陶しかった。
藤谷治はその辺りは読者の想像に任せてしまう事で
突拍子もない展開を自由に描こうとしたんだと勝手に推測。
そうだとしても、やっぱりずっとモヤモヤでした。
初めての九段理江。
「あの本、読みました?」に出てたので興味を持ちました。
「東京都同情塔」で2023年下期の芥川賞を獲る前に
2021年下期に「schoolgirl」が候補作になっていたとの事。
太宰治の「女生徒」に刺激を受けた作品らしい。
物語の中でも「女生徒」が重要なキーになってくる。
母親はyoutubeで社会派の情報を発信している娘を理解できない。
母親を"文学に毒された可哀想な人"だと思っています。
大まかには、この親子の距離を描いた作品。
個人的に母親とカウンセラーとのシーンが印象的でした。
この辺りからこの母親がちょっと変だと感じ始めた。
もう一つデビュー作の「悪い音楽」も収録されていて、
こちらの方が気持ちが動きやすい展開。
1977年の芥川賞作品「僕って何」。
学生運動華やかなりし頃のリアルな学生像が描かれてます。
主人公は強い意志で運動に参加したのではなく、
知り合いに誘われて足を踏み入れる事になります。
なんか大江健三郎の「セヴンティーン」と入口が似てる。
しかし、それと大きく違うのは、
主人公が思想に嵌る訳でも、運動にのめり込む訳でもない事。
ホントに「僕って何」な展開なのです。
この作品を正しく理解するには、時代の空気を知っていないと
無理なのかもしれません。
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